検査

新宿区にある国立国際医療研究センターを訪れた。コロナウイルス回復者を対象にした血漿検査に参加するためだ。

コロナウイルスに罹患し、ホテルで療養中に、回復したらこの経験を何か有効活用できないかと考えネットで検索していた際に見つけたものである。先に陽性になっていた友人にも話を聞いたところ、別の団体が行なっている調査に協力したそうだが、それはもう募集期間が終わっていた。

国立国際医療研究センターが行なっている調査は二段階に分かれており、一つ目が抗体検査、その結果抗体が多く所持していた場合は、改めて血液を献血のように採取し、製薬会社の研究に使用したり、罹患者に抗体を投与するなどして、コロナウイルスの研究に役立てるそうだ。私としては無料で抗体の有無がわかることがメリットで、同時にまだ明らかになっていないコロナウイルスについて少しでも役立てるなら双方よしだなと思って協力を決めた。もしかすると前回の陽性が偽陽性かもしれないとわずかながら疑っていて、それを確かめることができるのもありがたいなと感じている。

 

センターには初めて足を踏み入れたが、国立と名のつくだけあってかなりの規模で驚いた。私はなぜか国と冠のつくものにちょっとした萌えのようなものを感じるたちで(椎名林檎の最近の動きに疑念や嫌悪感を抱きながらも、なんだかんだで好きでいるのにはこういうフェティシズムが影響しているのかもしれない)、やっぱり国立はこうでなくちゃ!などと謎にテンションが上がってしまった。

フロアは導線が広く取られており開放感と清潔感が兼ね備えてある。私は小さいころよく病気をしていたので、病院は不思議と安堵感を覚える場所でもあり、その日もとても落ち着いた気持ちで検査を受けた。

調査についての説明をしてくれたオーガナイザーの方はとても親切かつフレンドリーで、この調査の目的や趣旨をすぐ理解することができた。献血と同じ要領なので、HIVや梅毒に感染していないか聞かれる時だけ少し戸惑った。私は基本的に危険な行為はしていないつもりだが、今回のコロナ同様何かの拍子に感染していることもないわけではない。危険な行為をしていないけれど、性感染症の検査を受けることは私のルーティンになっており、年に2、3回は受けている。前回受けたのは7月で、その時点で陰性だったためその旨を伝えた。一瞬ゲイであることを説明した方が早いかなと躊躇したが、それも変な話だと思いやめた(良い判断だったと思う)。結論としては、仮に患者に投与する際には日赤の基準に則り、感染していないものだけが使われるそうなので安心した。

 

丁寧な説明を受けた後は早速血液の採取のため場所を移動。センター内は通路がとても広くつくられており、これはストレッチャーや医療器具などがスムーズに通れるためなのかな、などと推測すると同時に、例えばこの先もし医療崩壊が起きたとしたら、こういう廊下にまで患者が溢れかえる...という悪夢もなぜだか想起してしまい、春先には欧米のそんなツイートが流れてきていたなと思い返し、なんだか少し嫌な気持ちになった。

検査室は順番待ちができるよう機械でシステム化されていたが、待ち時間はほぼなくそのまますぐ案内された。担当してくれるのはベテランぽい女性。私が椅子に座るまもなく「いくわよー4本!」みたいなテンションで話しかけられ、思わず笑ってしまう。私が先ほどの説明時に渡された採血管を追加で渡すと、「あらー!じゃあ全部で10本じゃない!あはは!ちょっと時間かかるわよー」と笑いながら言われ、圧倒された。「アルコールでかぶれたりありますか?」と聞いておきながら、その手はもうアルコールで私の腕を拭いていて、本当に笑いが止まらない。ほんとうにおかしくてたまらなくて笑っていたら、矢のようにぷすりと、しかしとても自然に、すでに私の血管には針が刺さっている状態だった。脂肪が多く血管が見えづらい私の腕に、一瞬の躊躇もなく、まるで流れ作業のように針をさされたことは初めてだったので、それまであんなテンションでおしゃべりしていた親しみやすい彼女が、急に他の追随をゆるさない職人のように思え、やっぱり続けることって大事なのかな...などと思ったりした。10本の採血と聞くとかなりの量を取られるのかと思い訪ねてみたところ、親切にもこれが何ミリ...と計算してくれ、だいたいヤクルトくらいかな!と教えてくれた。血の入った真っ赤なヤクルト容器を想像してしまい、また笑ってしまった。

 

採血は3分程度で終わり、止血のため5分ほど待合室にて待機し、その後はセンターをあとにした。結果がわかるのは約一ヶ月後とのこと。結果についてはすべて教えてくれるそうで、抗体について細かく知ることができる。抗体が十分な量ある場合は、私は今後の検査に協力したいと思う。その場合は、献血のような形で血液を数百ミリリットル提供することになる。抗体が少ない、あるいはなかった場合は、私は引き続き感染に注意しながら生活をすることになる。仮に抗体があったとしても、自分が媒介になる可能性や、変異型のウイルスもあるわけなので、大手を振って遊びまわることは避けるつもりだが、自分がどの程度気が緩んでしまうのか気になる。 

 

街はいつもと変わらないように見えて、引き続きコロナウイルス の猛威にさらされている。私の体内にはもしかするとその抗体があるかもしれず、それがもしかすると研究に活かされるかもしれず、そう考えるとなんだか少しホッとするような、少し誇らしく思うような気さえした。