2021

2021年が始まった。今日からは仕事も始まった。

COVID-19の拡大を受けて帰省は断念した。正直一度陽性になっているのだから、仮に抗体ができているのだとしたら、今の私は感染の心配をする必要はないのかもしれない。しかし、二度かかることもあるらしいことや、仮に一度の陽性判定が偽陽性だった場合や、私を媒介として他者に感染させる可能性なども考えると、高齢の祖父母と同居している実家に帰省することはややリスクに感じたので、やめることにした。

帰省をしない年末年始は、おそらく卒論の年ぶりで、丸一年実家に帰っていないことは初めてな気がする。先の見えない2021年だが、春先には帰省できるといいななどと考えている。

帰省しない年末年始だったが、友人カップルが声をかけてくれ、ふたりの住む家にお邪魔することになった。こうやって家族以外の誰かと年末年始をすごすのは初めてで、とても新鮮だった。大好きな紅白を鍋で囲んで見たのだが、ふだん家族とすごすときより自然にいられる自分に気づいた。

紅白は楽しんで見たけれど、やや小ぶりな印象。その分歌を聞かせる演出で好評だったそうだが、私としては、紅白でしか見られないような意味不明な演出が好きなので少々さみしくもあった。わたし的紅白のトピックとしては、星野源「うちで踊ろう」の2番の歌詞、氷川きよしの3形態変化、二階堂ふみの堂々たる司会っぷり、玉置浩二MISIA圧巻の歌唱などが挙げられる。友達と話したり鍋をつついたり、Twitterでボサボサつぶやいてみたりしながら見たのでどれもじっくり堪能したわけではないけど、そのくらいがちょうど良いなと思ったりもする。

 

Twitterといえば、最近ちょっと距離をおきたい気持ちになっている。と言いながらぜんぜん見まくっているしつぶやきまくっているのだが、どうも自分の生身のことばと乖離してしまっている気がするのと、なんとなくいろんな人のことが気になって好き放題しゃべれなくなってしまっているという両方の気持ちがある。

前者については、どうしてもTwitter仕草、Twitter構文を用いてしまう自分がいて、それ別に思ってないのになーみたいなことが続いているのが単に嫌である。後者については結構根深くて、いま自分のポリコレ観に自信がなくなってきていて、どれも自分の意見じゃないような気がしてしまうのが原因だと思う。

私はたぶんリベラル的考えを持っている人間だと思うし、そうありたいと思っているのだけれど、育ってきた環境や教育されてきたものは保守なので、どうしても自分の中でジレンマみたいなものが生まれてしまう。ミソジニー的な感情も20代前半まではずっとあったし、祖父母は世代的に韓国にいい印象を持っていないので(仕方のないことだと思っています)ずっとそのように教えられてきたし、それを踏まえて今はこうだと思うものがあるけれど、そうじゃない立場の人の考え方もややわかる気がしなくもない...みたいな気持ちになってしまう。自分と考えの違う人にそこまでエンパシーを感じなくてもよいはずなのだけれどなぜかやってしまい、結果自分を混乱させている気がする。これはしばらく自問自答するのかな。

 

2021年の抱負みたいなもの、特に考えていなかったけれど、去年と同じ調子であればいいなと思う。去年は恋愛、仕事、趣味とすべてが満足いく結果を残せたので。

世相は不安定だけれど、私は私のやりたいことを粛々とやりたい、そんな気持ちで生きていきたいと思う。