抗体

前回の投稿から一ヶ月ほどたったようで、「そろそろ投稿しませんか」的なメールにそそのかされて書いてみようと思う。

 

前回の投稿:検査の結果が出た。結論としては私には抗体があった。つまり、確実にCOVID-19に罹患していたということになる。しかし、抗体の量としては標準並み(回復者の平均レベル)だったため、これ以上の調査協力とはならず、ここで終了となった。抗体があるのでスター状態!というわけでもなく、送られてきた資料には、引き続き感染の可能性はゼロではないので注意して生活するように書かれていた。とはいえ少しは可能性が下がったりするのだろうか?素人考えには、例えば少量のウイルスが入ってきたとして、抗体ゼロの人よりはかかりにくいのでは?とか思ったりもするが、あまり勝手な判断はしないようにしようと思った。引き続き今まで通りの生活を続けたいと思う。

 

ここ数日はSNSに辟易することが多くて、どうにも精神が乱されることが多かった。1月末くらいから、なんだか近頃のTwitterの殺伐具合が気になるようになり、先日の森氏の女性蔑視発言を機に、もうなんかすべてどうでもいいと思うようになってしまった。

森氏の退任が発表され、川淵氏が後任となるらしい。はたして意味があるのだろうか?

私はもちろんあの発言を是としない立場だが、森氏は辞めない方がよかったと思う。正確にいうと、たとえ辞めてもいい未来が見えないことは明白なのだから、だったら今まで現場をみてきた人がやる方がマシなのでは。という気持ちである。

そもそもあの人が会長であるということ自体組織として間違っていたのだと思う。年齢でものをいうのはよくないけれど、80を超えた人(車の免許なら返納をすすめられる年齢である)がいないとまわらないような組織しか作れない日本の社会がおかしい。これは国民全員の問題なのに、それを一人の老人を生贄にして、石を投げつける行為はえげつないと感じた。石を投げたあなたは本当に潔白ですか?投げる前に省みる必要があるのではないですか?と問いたくなった。

先ほど年齢を理由に批判をしたので、同じく年齢を理由に擁護(というか皮肉だが)するならば、80をすぎた人に、この速度の速い社会の変化についてこいという方が酷であると思う。私にも90をすぎた祖父母がおり、ともに嫌韓主義者で今でいうレイシストであるが、もう別に何をどう説得しようとしたりはしない。あと数年で生涯を終える人に何を望んでも仕方がなく、私たちが変えていけばいいだけの話である。だからやっぱり、森氏がトップにいること自体が歪なのだと私は思う。国際的に話ができ、政界やスポーツ界と幅広く人脈のあるような後継者はなぜ育たなかったのだろうか。

 

森氏の発言を受け、「わきまえない女」としてyoutube上でトークイベントが開催された。女性自身が声を上げることはとても大事だし、それを見聞きして勇気付けられる人は多いのではないかと思う。それに呼応するように、翌週に突如「変わる男たち」と題した同じフォーマットのトークイベントが開催されることがアナウンスされた。登壇予定の顔ぶれをみると、私の知らない人たちも複数いたものの、この分野において意識が高いと思われる(私の知識がないからかもしれないし、私は男性だから正直私の感覚などあてにならないのだが、私からみてそう感じた)メンツだったため、私は特に疑問を感じることもなく、有意義な話が聞けそうだな、くらいに思っていた。が、数時間後にいくつか批判の声を目にするようになった。

男性、つまり特権を持つものだけのトークの場では、結局差別構の造焼き回しではないか、なぜ一人一人ではだめなのか、といった内容だった。

なるほどと思った。確かに、男性だけで話をして、結局ホモソまみれのなんじゃこれ回になっては本末転倒だし、何が変わる男やねんとなるのもわかる。のだが、私は名前を連ねていたメンバーに限ってはそういうことは起こらないのではないかと思ったし、逆に他の男たちでは絶対にできないトークイベントだったとも思う。なので彼らの話が聞きたかった私としてはとても残念に思った。同時に「ただ全員が男性というだけで」このイベントを批判したのだとしたら、それもまた差別構造の焼き回しじゃないかと正直思ってしまった。

中には「変わる男たち」ではなく「変われない男たち」に変えてやればいいじゃないか、お前ら結局変われないのだからとりあえず反省していろ、などと皮肉を交えて嘲笑するフェミニストも目にして、それはさすがに批判ですらないただの悪口ではないかと辟易した。

結局イベント自体は、企画者から登壇者へ十分な説明がないまま企画が進行していたことが登壇者から明らかになり、延期となる旨が案内された。私はてっきり全員が同意の上での企画だと思っていたので、だとしたらさすがにひどいなと思い、延期になることは賛成だと感じた。

しかし、上記のような揶揄をしていたフェミニストたちはその内情を知らないうちからそういった発言をしていたので、やはり「ただ全員男性だから」というだけで判断していたのだと思うし、それはおかしいと私は思う。

 

私はフェミニズムに興味があったし、今後いろんな書籍などを読んでみたいという気持ちもあったけれど、そういう気持ちが一気に削がれてしまい、今はミソジニー的感情がかなりむき出しになってしまっていて、自分でも気分が悪いしそういう自分が嫌い。

そもそも私は幼少期に植えつけられたり、成長過程で育ててしまった差別意識があると認識していて、それが結果的に自分のセクシャリティを獲得する際に大きな足かせとなった経験がある。足かせとなったことはわかっているので、それを払拭するために自分で育て直しをしたという自負があるけれど、なんだかそれ以前の自分に戻っていくような感覚すらある。

 

とはいえ、じゃあ私が積極的に女性蔑視していこうとするかというとそういうわけでは絶対ないのだけれど、フェミニズムって世の中をよくするためのものでは結局ないのかもしれない、だって解決したいと思ってなくない?一体どうしたいの?ということを、学ぶ前になんとなく今感じ取ってしまっていて、それが自分でもなんだか寂しい。という感じ。たぶんそうじゃないと信じたいのだけど。

過剰な部分を目にしてしまったからかもしれない、と今は言い聞かせている。この考えも今はまとまらない状態なので、なんだか気持ちがわるい。いろんな人と話がしたい。