3月のこと

3月はそれなりに仕事でやることがあって、しかもなんだか自信がなく進めていたこともあって結構落ち着かない一ヶ月だった。結果的に仕事そのものは好評だったのだけど、自分的にどうしても納得いかなくて色々やり直すことにしてしまった。誰もダメ出ししてないのに自分が一番自分を追いつめてしまうのもったいないかも?とか思ったりもするけど、このまま見ないふりするほうが自分で自分を追い詰めてるような感じもするので前向きに取り組みたい。

 

3月からなんだかいろんなことがざわざわと動き始めた感覚がある。それは啓蟄を迎えたころとリンクしていそうで、虫たちがこぞって蠢きだすような(うごめくってこんな漢字なんだ!まさに啓蟄って感じ...)喜ばしくも少し身構える感覚。

約10年ぶりに元恋人と会って話をしたことがかなり大きかった。10年会わないとうまく話せないかもしれない、などとも思ったけれど、ブランクを感じさせないくらいすぐ10年前に戻ることができた。彼女はやっぱり聡明で繊細で、私は心からリスペクトしているし、これからもたくさん刺激をもらえたらいいなと思うし、私も何かしら役に立ちたい。いい関係であれたらいいなと思った。

 

シンエヴァンゲリオンも3月の私に大きな影響をもたらしたもののひとつ。結局今にいたるまで3回鑑賞し(書いている時点では3回だったが結局6回目を今週末に観ます...)、その感動の大きさは回数を重ねるごとに大きくなっていく。1度目はとにかく何が起きたのか受け止めるのに精一杯で、2回目3回目と次第に登場人物の心境に心を寄せることができるようになり、毎度涙をこぼしてしまう。思い入れが深く、数回観ただけですんなり「卒業しました」という気持ちになれないし、寂しさはしばらく募りそう。

 

 

未完成

いつも文章をかこうとして、途中まで書くけど、途中から行き詰まって最後までかけない。下書きだけがたくさん増えていき、それらはもうホットな感情ではないから続きから書くことはもっと難しくなる。

そういうことがたくさんある。人生のキャッシュみたいなもの。クリアにできるものではなく、残り続けていくけど、消化されないものたち。それらと向き合うには時間と精神力と体力が必要で、そういう余裕が日々にはあまりない。少しずつ消化していければいいけれど。

 

祖母の介護について色々思いを巡らせていたら辛くなってしまった。今日はこれからエヴァを見るのだけれど、どんな気持ちになるかわからなくて不安。それにあわせて宇多田ヒカルの新譜も聞かないでいる。SNSは一面その話題で持ちきりだから見ないようにしているのだけれど、世の中から少しだけ隔離されたようでせつなくなる。世間と一体化していれば安心で、一体化できないと不安を感じる自分をちょっと残念にも思う。

 

まわりの幸せそうな様子を見れば見るほど、自分のみじめさが際立ってしまいずぶずぶと沼にはまっていくような感覚。比べなければいいってわかるけれど、そんな強靭なシステムで私はできていない。そういうときの立て直し方は随分勉強してきたと思うけど、私は今は沼でいいやというなかば投げやりな気持ちで、そう思ってしまうことにも落ち込んだりしながらの日々である。

ひとまず今日は、無事にエヴァをみられることに感謝したい。

たまに自分のメンタルのやばい方を思い出し、恐ろしくなる。

私の中には休火山のような鬼がいて、それがいつとめどなくあふれてこころを枯らすかがわからないし、自分の中にそういうものがあるということが怖い。

今は仕事や家のことを何なくこなすことができるし、居場所がなんとなくあると感じられるけど、何かがふりかかったときに、それらすべてがどうでもよくなったり、誰にも会いたくなくなったり喋りたくなくなったりするのではないか、誰かを傷つけるのではないか、損ねるのではないか、という漠然とした不安がある。ゆるやかにそういう状態になってしまって、どうにも手がつけられなくなった自分のことを想像すると、恐怖と悲しみが押し寄せてきそうになる。

 

そういった事態を阻止するべく、私は自分の居場所を毎日毎日確認しながら、それが損なわれないように細心の注意をはらいながら、時に承認欲求を誰かに満たしてもらいながら、おそるおそる生きている。それがなんだかばかばかしく感じることもある。

 

節分は自分の鬼を追い払うためにあるのかも。豆を投げてもたぶん何も変わらないはずだけれど、少しの気休めにはなってくれるだろうか。そういうまじないみたいな効果が季節の行事にはあるんだと思う。いつも特に何もしていないけど。

抗体

前回の投稿から一ヶ月ほどたったようで、「そろそろ投稿しませんか」的なメールにそそのかされて書いてみようと思う。

 

前回の投稿:検査の結果が出た。結論としては私には抗体があった。つまり、確実にCOVID-19に罹患していたということになる。しかし、抗体の量としては標準並み(回復者の平均レベル)だったため、これ以上の調査協力とはならず、ここで終了となった。抗体があるのでスター状態!というわけでもなく、送られてきた資料には、引き続き感染の可能性はゼロではないので注意して生活するように書かれていた。とはいえ少しは可能性が下がったりするのだろうか?素人考えには、例えば少量のウイルスが入ってきたとして、抗体ゼロの人よりはかかりにくいのでは?とか思ったりもするが、あまり勝手な判断はしないようにしようと思った。引き続き今まで通りの生活を続けたいと思う。

 

ここ数日はSNSに辟易することが多くて、どうにも精神が乱されることが多かった。1月末くらいから、なんだか近頃のTwitterの殺伐具合が気になるようになり、先日の森氏の女性蔑視発言を機に、もうなんかすべてどうでもいいと思うようになってしまった。

森氏の退任が発表され、川淵氏が後任となるらしい。はたして意味があるのだろうか?

私はもちろんあの発言を是としない立場だが、森氏は辞めない方がよかったと思う。正確にいうと、たとえ辞めてもいい未来が見えないことは明白なのだから、だったら今まで現場をみてきた人がやる方がマシなのでは。という気持ちである。

そもそもあの人が会長であるということ自体組織として間違っていたのだと思う。年齢でものをいうのはよくないけれど、80を超えた人(車の免許なら返納をすすめられる年齢である)がいないとまわらないような組織しか作れない日本の社会がおかしい。これは国民全員の問題なのに、それを一人の老人を生贄にして、石を投げつける行為はえげつないと感じた。石を投げたあなたは本当に潔白ですか?投げる前に省みる必要があるのではないですか?と問いたくなった。

先ほど年齢を理由に批判をしたので、同じく年齢を理由に擁護(というか皮肉だが)するならば、80をすぎた人に、この速度の速い社会の変化についてこいという方が酷であると思う。私にも90をすぎた祖父母がおり、ともに嫌韓主義者で今でいうレイシストであるが、もう別に何をどう説得しようとしたりはしない。あと数年で生涯を終える人に何を望んでも仕方がなく、私たちが変えていけばいいだけの話である。だからやっぱり、森氏がトップにいること自体が歪なのだと私は思う。国際的に話ができ、政界やスポーツ界と幅広く人脈のあるような後継者はなぜ育たなかったのだろうか。

 

森氏の発言を受け、「わきまえない女」としてyoutube上でトークイベントが開催された。女性自身が声を上げることはとても大事だし、それを見聞きして勇気付けられる人は多いのではないかと思う。それに呼応するように、翌週に突如「変わる男たち」と題した同じフォーマットのトークイベントが開催されることがアナウンスされた。登壇予定の顔ぶれをみると、私の知らない人たちも複数いたものの、この分野において意識が高いと思われる(私の知識がないからかもしれないし、私は男性だから正直私の感覚などあてにならないのだが、私からみてそう感じた)メンツだったため、私は特に疑問を感じることもなく、有意義な話が聞けそうだな、くらいに思っていた。が、数時間後にいくつか批判の声を目にするようになった。

男性、つまり特権を持つものだけのトークの場では、結局差別構の造焼き回しではないか、なぜ一人一人ではだめなのか、といった内容だった。

なるほどと思った。確かに、男性だけで話をして、結局ホモソまみれのなんじゃこれ回になっては本末転倒だし、何が変わる男やねんとなるのもわかる。のだが、私は名前を連ねていたメンバーに限ってはそういうことは起こらないのではないかと思ったし、逆に他の男たちでは絶対にできないトークイベントだったとも思う。なので彼らの話が聞きたかった私としてはとても残念に思った。同時に「ただ全員が男性というだけで」このイベントを批判したのだとしたら、それもまた差別構造の焼き回しじゃないかと正直思ってしまった。

中には「変わる男たち」ではなく「変われない男たち」に変えてやればいいじゃないか、お前ら結局変われないのだからとりあえず反省していろ、などと皮肉を交えて嘲笑するフェミニストも目にして、それはさすがに批判ですらないただの悪口ではないかと辟易した。

結局イベント自体は、企画者から登壇者へ十分な説明がないまま企画が進行していたことが登壇者から明らかになり、延期となる旨が案内された。私はてっきり全員が同意の上での企画だと思っていたので、だとしたらさすがにひどいなと思い、延期になることは賛成だと感じた。

しかし、上記のような揶揄をしていたフェミニストたちはその内情を知らないうちからそういった発言をしていたので、やはり「ただ全員男性だから」というだけで判断していたのだと思うし、それはおかしいと私は思う。

 

私はフェミニズムに興味があったし、今後いろんな書籍などを読んでみたいという気持ちもあったけれど、そういう気持ちが一気に削がれてしまい、今はミソジニー的感情がかなりむき出しになってしまっていて、自分でも気分が悪いしそういう自分が嫌い。

そもそも私は幼少期に植えつけられたり、成長過程で育ててしまった差別意識があると認識していて、それが結果的に自分のセクシャリティを獲得する際に大きな足かせとなった経験がある。足かせとなったことはわかっているので、それを払拭するために自分で育て直しをしたという自負があるけれど、なんだかそれ以前の自分に戻っていくような感覚すらある。

 

とはいえ、じゃあ私が積極的に女性蔑視していこうとするかというとそういうわけでは絶対ないのだけれど、フェミニズムって世の中をよくするためのものでは結局ないのかもしれない、だって解決したいと思ってなくない?一体どうしたいの?ということを、学ぶ前になんとなく今感じ取ってしまっていて、それが自分でもなんだか寂しい。という感じ。たぶんそうじゃないと信じたいのだけど。

過剰な部分を目にしてしまったからかもしれない、と今は言い聞かせている。この考えも今はまとまらない状態なので、なんだか気持ちがわるい。いろんな人と話がしたい。

検査

新宿区にある国立国際医療研究センターを訪れた。コロナウイルス回復者を対象にした血漿検査に参加するためだ。

コロナウイルスに罹患し、ホテルで療養中に、回復したらこの経験を何か有効活用できないかと考えネットで検索していた際に見つけたものである。先に陽性になっていた友人にも話を聞いたところ、別の団体が行なっている調査に協力したそうだが、それはもう募集期間が終わっていた。

国立国際医療研究センターが行なっている調査は二段階に分かれており、一つ目が抗体検査、その結果抗体が多く所持していた場合は、改めて血液を献血のように採取し、製薬会社の研究に使用したり、罹患者に抗体を投与するなどして、コロナウイルスの研究に役立てるそうだ。私としては無料で抗体の有無がわかることがメリットで、同時にまだ明らかになっていないコロナウイルスについて少しでも役立てるなら双方よしだなと思って協力を決めた。もしかすると前回の陽性が偽陽性かもしれないとわずかながら疑っていて、それを確かめることができるのもありがたいなと感じている。

 

センターには初めて足を踏み入れたが、国立と名のつくだけあってかなりの規模で驚いた。私はなぜか国と冠のつくものにちょっとした萌えのようなものを感じるたちで(椎名林檎の最近の動きに疑念や嫌悪感を抱きながらも、なんだかんだで好きでいるのにはこういうフェティシズムが影響しているのかもしれない)、やっぱり国立はこうでなくちゃ!などと謎にテンションが上がってしまった。

フロアは導線が広く取られており開放感と清潔感が兼ね備えてある。私は小さいころよく病気をしていたので、病院は不思議と安堵感を覚える場所でもあり、その日もとても落ち着いた気持ちで検査を受けた。

調査についての説明をしてくれたオーガナイザーの方はとても親切かつフレンドリーで、この調査の目的や趣旨をすぐ理解することができた。献血と同じ要領なので、HIVや梅毒に感染していないか聞かれる時だけ少し戸惑った。私は基本的に危険な行為はしていないつもりだが、今回のコロナ同様何かの拍子に感染していることもないわけではない。危険な行為をしていないけれど、性感染症の検査を受けることは私のルーティンになっており、年に2、3回は受けている。前回受けたのは7月で、その時点で陰性だったためその旨を伝えた。一瞬ゲイであることを説明した方が早いかなと躊躇したが、それも変な話だと思いやめた(良い判断だったと思う)。結論としては、仮に患者に投与する際には日赤の基準に則り、感染していないものだけが使われるそうなので安心した。

 

丁寧な説明を受けた後は早速血液の採取のため場所を移動。センター内は通路がとても広くつくられており、これはストレッチャーや医療器具などがスムーズに通れるためなのかな、などと推測すると同時に、例えばこの先もし医療崩壊が起きたとしたら、こういう廊下にまで患者が溢れかえる...という悪夢もなぜだか想起してしまい、春先には欧米のそんなツイートが流れてきていたなと思い返し、なんだか少し嫌な気持ちになった。

検査室は順番待ちができるよう機械でシステム化されていたが、待ち時間はほぼなくそのまますぐ案内された。担当してくれるのはベテランぽい女性。私が椅子に座るまもなく「いくわよー4本!」みたいなテンションで話しかけられ、思わず笑ってしまう。私が先ほどの説明時に渡された採血管を追加で渡すと、「あらー!じゃあ全部で10本じゃない!あはは!ちょっと時間かかるわよー」と笑いながら言われ、圧倒された。「アルコールでかぶれたりありますか?」と聞いておきながら、その手はもうアルコールで私の腕を拭いていて、本当に笑いが止まらない。ほんとうにおかしくてたまらなくて笑っていたら、矢のようにぷすりと、しかしとても自然に、すでに私の血管には針が刺さっている状態だった。脂肪が多く血管が見えづらい私の腕に、一瞬の躊躇もなく、まるで流れ作業のように針をさされたことは初めてだったので、それまであんなテンションでおしゃべりしていた親しみやすい彼女が、急に他の追随をゆるさない職人のように思え、やっぱり続けることって大事なのかな...などと思ったりした。10本の採血と聞くとかなりの量を取られるのかと思い訪ねてみたところ、親切にもこれが何ミリ...と計算してくれ、だいたいヤクルトくらいかな!と教えてくれた。血の入った真っ赤なヤクルト容器を想像してしまい、また笑ってしまった。

 

採血は3分程度で終わり、止血のため5分ほど待合室にて待機し、その後はセンターをあとにした。結果がわかるのは約一ヶ月後とのこと。結果についてはすべて教えてくれるそうで、抗体について細かく知ることができる。抗体が十分な量ある場合は、私は今後の検査に協力したいと思う。その場合は、献血のような形で血液を数百ミリリットル提供することになる。抗体が少ない、あるいはなかった場合は、私は引き続き感染に注意しながら生活をすることになる。仮に抗体があったとしても、自分が媒介になる可能性や、変異型のウイルスもあるわけなので、大手を振って遊びまわることは避けるつもりだが、自分がどの程度気が緩んでしまうのか気になる。 

 

街はいつもと変わらないように見えて、引き続きコロナウイルス の猛威にさらされている。私の体内にはもしかするとその抗体があるかもしれず、それがもしかすると研究に活かされるかもしれず、そう考えるとなんだか少しホッとするような、少し誇らしく思うような気さえした。

2021

2021年が始まった。今日からは仕事も始まった。

COVID-19の拡大を受けて帰省は断念した。正直一度陽性になっているのだから、仮に抗体ができているのだとしたら、今の私は感染の心配をする必要はないのかもしれない。しかし、二度かかることもあるらしいことや、仮に一度の陽性判定が偽陽性だった場合や、私を媒介として他者に感染させる可能性なども考えると、高齢の祖父母と同居している実家に帰省することはややリスクに感じたので、やめることにした。

帰省をしない年末年始は、おそらく卒論の年ぶりで、丸一年実家に帰っていないことは初めてな気がする。先の見えない2021年だが、春先には帰省できるといいななどと考えている。

帰省しない年末年始だったが、友人カップルが声をかけてくれ、ふたりの住む家にお邪魔することになった。こうやって家族以外の誰かと年末年始をすごすのは初めてで、とても新鮮だった。大好きな紅白を鍋で囲んで見たのだが、ふだん家族とすごすときより自然にいられる自分に気づいた。

紅白は楽しんで見たけれど、やや小ぶりな印象。その分歌を聞かせる演出で好評だったそうだが、私としては、紅白でしか見られないような意味不明な演出が好きなので少々さみしくもあった。わたし的紅白のトピックとしては、星野源「うちで踊ろう」の2番の歌詞、氷川きよしの3形態変化、二階堂ふみの堂々たる司会っぷり、玉置浩二MISIA圧巻の歌唱などが挙げられる。友達と話したり鍋をつついたり、Twitterでボサボサつぶやいてみたりしながら見たのでどれもじっくり堪能したわけではないけど、そのくらいがちょうど良いなと思ったりもする。

 

Twitterといえば、最近ちょっと距離をおきたい気持ちになっている。と言いながらぜんぜん見まくっているしつぶやきまくっているのだが、どうも自分の生身のことばと乖離してしまっている気がするのと、なんとなくいろんな人のことが気になって好き放題しゃべれなくなってしまっているという両方の気持ちがある。

前者については、どうしてもTwitter仕草、Twitter構文を用いてしまう自分がいて、それ別に思ってないのになーみたいなことが続いているのが単に嫌である。後者については結構根深くて、いま自分のポリコレ観に自信がなくなってきていて、どれも自分の意見じゃないような気がしてしまうのが原因だと思う。

私はたぶんリベラル的考えを持っている人間だと思うし、そうありたいと思っているのだけれど、育ってきた環境や教育されてきたものは保守なので、どうしても自分の中でジレンマみたいなものが生まれてしまう。ミソジニー的な感情も20代前半まではずっとあったし、祖父母は世代的に韓国にいい印象を持っていないので(仕方のないことだと思っています)ずっとそのように教えられてきたし、それを踏まえて今はこうだと思うものがあるけれど、そうじゃない立場の人の考え方もややわかる気がしなくもない...みたいな気持ちになってしまう。自分と考えの違う人にそこまでエンパシーを感じなくてもよいはずなのだけれどなぜかやってしまい、結果自分を混乱させている気がする。これはしばらく自問自答するのかな。

 

2021年の抱負みたいなもの、特に考えていなかったけれど、去年と同じ調子であればいいなと思う。去年は恋愛、仕事、趣味とすべてが満足いく結果を残せたので。

世相は不安定だけれど、私は私のやりたいことを粛々とやりたい、そんな気持ちで生きていきたいと思う。

 

 

 

隔離

早朝に気分が悪くなり目覚める。この寒気は絶対に熱が出ているやつだ、と確信し、体温を測定する。37.8。高熱とまではいかないが、しっかり発熱している。前日の夜に少し寒気がした気がしたのだが、12月に入ってぐっと冷え込んだこともあり、いよいよ冬本番だなあなどと悠長なことを考えていた自分がバカみたいである。
もちろんすぐに流行中のウイルスを疑ったが、いろんなサイトを見てみても、4日間以上発熱が続くようであれば保健所に相談、となっているものが多く、ひとまず様子をみることにした。
 
 
37.4くらいに落ち着いたものの、まだ熱はある状態。この時点で味覚嗅覚に異常はなく、咳もそんなに出ない。明確な症状は熱と鼻水のみなので、普通の風邪なんじゃないか、と素人のくせにかなり楽観的な判断をする。が、やっぱり今振り返ってもこの時点でそう思ってしまったのも無理はない気がする。それくらい気が緩んでいると言われればそれまでではあるが。この日、眼球の痛みも発生したため、過去に何度かなっている副鼻腔炎なのではないかと思い、もし明日熱が下がらなければ病院へ行こうと決意。
この日、昨日ずっと寝ていたことが仇となりぎっくり腰にもなってしまい、どちらかというと風邪の症状よりぎっくり腰の方が辛かった。ぎっくり腰になってしまったら、なるべく動かすことが大事なので、無意味に1時間くらい散歩をした。それくらいの元気はあった。
 
 
朝イチで体温を測るも、引き続き37度台。なんにせよ自然治癒ではなく何かしらの薬に頼りたい気持ちにもなり、病院へ行くことに。かかりつけの最寄りの病院はかなり混雑するので、結局診察は正午ごろになってしまった。
診察を待つ間は、発熱症状があったため、別室にて待機。症状をひと通り伝えたあと、インフルエンザの検査をするも陰性。お医者さんに、この時期ですからPCR検査も受けられますがどうしますか?念のため受けます?と聞かれる。そういうゆるい感じ、しかも任意なんだ、と思いつつ、私は陰性の証明が欲しかったので、受けますと答え、その日のうちに家から少し離れた場所でPCR検査の予約が取れたことが伝えられた。検査場所へ向かう途中、交通公共機関を使わずタクシーか自家用車で行ってくれと書いていることに気づき、電車を少し手前で降りて歩いた。完全にしっかり読んでいない私が悪いのだけど、普通にスルーする人結構いそう...。
PCR検査場は、写真撮影が禁止という張り紙が貼られていた。正常な運用ができなくなる可能性があるので、場所を特定するような書き込み等も禁止する旨が書いてあった。それが妙に生々しく感じられた。
予約は分刻みで取られ、検査自体はすぐ終了した。ここにいる人は皆何かしら罹患の可能性があってきているんだと思うと、謎の同志感が生まれた。
帰りはタクシーにしようかと思ったが、昨日に引き続きぎっくり腰がまだ完治していなかったため、少々時間はかかったが徒歩で帰ることにした。
結果については、陰性であれば病院経由で、陽性の場合は保健所経由で、明日の昼頃に伝えられるとのこと。
 
 
午前中、10時ごろに電話が鳴る。病院からだ。ということは陰性なんだろう、よしよしと思い電話に出た。すると「陽性でした」との返事。思わず「え...」とぎょっとした声を出してしまう。聞き間違えたかなと思ったり、陽性って感染してる方のことだよねと一瞬思ったりしたが、電話口の看護師さんは「おって保健所から連絡が来ますので、外に出ずにお家の中でお過ごしください」と言われる。
正直めちゃくちゃ気を遣って生活していたかというとそうではなく、例えば春の緊急事態宣言の時ほどの危機感はなかったし、友人との飲食も、ある程度対策のとられた店であればよしとしていたので、可能性はなきにしもあらずとは思っていたものの、いざ陽性の事実が伝えられるとそれなりにショックを受けた。そしてこのあとどういう手順を踏めば良いか結構悩んでしまった。気になるのは直近で会っていたり食事をした同僚や友人のことだが、どのように説明をするのが正解なのだろう。保健所から連絡が来るとのことだったので、ひとまず会社に陽性の診断を受けた旨を伝え、あとは保健所の指示を待つことにした。
午後になり保健所から連絡がきた。発症の二日前までに接触があった人と、その人とどういう環境で接触したかを細かく聞かれ、濃厚接触者に該当するかどうかの判断がなされた。会社で接触した人に関しては、オフィスの環境等も重要になってくるので、後日会社の所在地の保健所から会社あてに連絡がいくとのことだった。
おそらく小一時間保健所の人と話をしていたと思う。こちらは素直にわからないことをたくさん質問したが、すべて優しく答えてくれて安心した。マニュアルもかなりできあがっているように感じられ、さすがにこれだけ時間がたっていれば整っているか、と納得したりもした。
数時間後にまた保健所から電話があり、私は入院ではなくホテル療養となることが決まった。あさってに詳細の連絡がくるらしい。ホテル療養に際して必要なものなどの説明があった。洗濯ができないので着替えを多めに持ってくることや、部屋で手洗いは可能なので洗剤を持参してもいいということ。ネットショッピングやデリバリー、タバコとアルコールは禁止。部屋のポットでお湯を沸かすことはできるので、お茶やお味噌汁があるとよいかもということが駆け足で伝えられた。色々と準備したい気持ちはあれど、そもそも自宅から出てはいけないので、たまたまストックしていたインスタントの味噌汁やスープ類を持って行くことにした。あとはどう時間をつぶすか、積ん読していた本のうちいくつかをピックアップしたい。
 
 
陽性の診断を受けたのちに何が大変かというと、周囲への連絡だということに気付かされた。濃厚接触の疑いがある、直近で会った人に関してはもちろん連絡をとり、保健所からも連絡をしてもらう必要があったので、その指示に従った。迷ったのは、濃厚接触者扱いになる直前に会った人や、症状が出る2週間前までの間に会っていた人たちである。言う義務はないし、わざわざ言う必要もないとも考えられるけど、それは気が引けたのと、普通に連絡をしたり明日以降も会う予定がある人たちに黙っているのも不自然である。結果、自分の判断で2週間以内に会って飲食を共にした人に関しては連絡をすることにした。私は厳しく外出自粛していたわけではなく、それなりに人にも会っていたので、これが精神的にも工数的な面でもけっこうこたえた。結果的に私の感染が発覚したことにより、親しくしている人たちを不安な気持ちにさせていると思うと、これまでの行動が必ずしも間違っていたわけではないと心ではわかりつつも、かなり申し訳ない気持ちになるし、責められても仕方ないと思ってしまう。自分の行動を振り返り、悔いたりもした。ただ、連絡した人たちはみなやさしく暖かい言葉をかけてくれたのが救いだった。
私は軽症で熱もあまりなかったので、メッセージを一人ひとり返したり対応することができたけど、これがもし高熱でうなされていたら、と思うと、こんなことはできないなと思う。(それは会社への連絡なども同じ)
 
 
前日にようやくホテルの詳細が知らされた。自宅にお迎えのタクシーが近づいたら連絡があるそうで、それを待っていた。当初「近づいたら」とのことだったので、電話があったら最後に詰めるものを詰めて出よう、と思っていたのだが、電話がかかってきたときには「自宅の前です」とのことで、慌てて出て行った。
乗り合わせたのは、20代くらいの女性と、40代くらいの女性だった。皆同じ気持ちでこの車に乗っているのだと思うと不思議な気持ちがした。
マスクをしていたせいか、それともしばらく外に出ずじっとしていたせいか、ひどく車に酔ってしまい、ホテル到着まで変な汗を全身にかいてしまった。私は三半規管がもともと弱く、乗り物に乗らない日々が続くとすぐこうなってしまう。
ホテルに入ると、ホワイトボードに詳細が書いてあり、名前の書いてある封筒を取り、部屋へ向かうように指示があった。係の人から直接の説明はなく、なぜか近未来感を感じながら部屋でその封筒をあけた。中にはこれからの説明が記された資料と、都知事からのメッセージ、VODの案内に加え、指先で血中の酸素濃度を測定する機器が同梱されていた。今日から定められた時間に体温とこの酸素濃度を測定し、記録していく必要がある。
食事は1日3回決められた時間にロビーに取りに行く。部屋から出ることができるのはその食事の1時間だけで、それ以外は基本的に室内で過ごさねばならない。そんなことできるのだろうか...いくつか暇つぶしグッズは持ってきているが、少々心配である。
 
 
 金
今日から仕事を復帰することにした。まる一日ホテルで過ごしたのは今日が初めてになるが、仕事でmtgなどがあると意外にすぐ時間は過ぎてしまい、通常の在宅勤務とあまり感覚は変わらない。食事の時間がきっかり決まっているため、かえって時間配分が規則的になり健康になりそうな気さえする。
会社の人は相変わらず皆優しく接してくれ本当にありがたい。一週間ぶりに顔を合わせる人ばかりなので懐かしさも少し込み上げる。興味津々な人からは色々質問も受けたりして、同じような答えを何度もしたりした。それは全然苦にならないのだが、どういう態度でいるのがベストなのかちょっと戸惑ってしまった。心配をしてくれているので、元気なことを伝えたい気持ちもあるし、ジョークだって言いたい気持ちにもなるけど、ふざけるような話でもない気がして、ちょっとぎこちない感じになってしまう。結局シンプルに元気であることを伝えたり、心配かけてごめんねという気持ちをストレートに伝えることが大事なのかもなと思いそうした。
明日からは週末。時間はたっぷりあるので、本や映画など有意義に過ごしたい。
 
 
週末が始まった。といっても部屋から出られないのでやることはないのだが。持ち込んだタブレットで映画をいくつか観た。友人が話していた監督の映画をみてみようと思い観た。思ったよりシリアスかつヘビーだったものの、自分の好きなテイストだった。部屋でひとりでみるので思う存分余韻に浸ることができた。
本やストレッチグッズなども持ち込んだけれど、だらだらネットサーフィンをしていたり、誰かとLINEをしているとそれなりに時間はすぎていくもので、正直あまり窮屈さや退屈さは感じずに1日がすぎた。むしろ夜更かしまでしてしまっている。
 
 
昨夜に夜更かしをしたせいか、午前中ほぼ何もせずずっと寝てしまった。
ここに来て以来食事の時間と検温の時間がきちんと決められているので、そこは規則正しく生活できるものの、その他のところで歪みが出ると一気にリズムが崩れてしまう。けれど時間が決められていることで元に戻すのも容易に感じる。一人暮らしだとずれ続けてしまうので。
今日は同僚からおすすめされたNetflixの番組を見たり、読みたくて読めていなかった本を読んだり、お気に入りのドラマ作品「すいか」をひさしぶりに見たりして楽しんだ。1日は本当にあっという間だなと思う。
 
 
今日は再び仕事をした。といっても普段よりできることは限られてしまうので、あまり仕事をしたという感覚はなく、いくつかのmtgに出席したり、進捗を聞いたりするだけではあった。午前中に極めて眠くなる、というループにハマっていて、特に普段食べない朝食を食べた後、血糖値がおそらく上昇するせいか、二度寝をしてしまう。今日も例外ではなく、始業直前まで眠ってしまっていた。体調は随分前に解熱はしているものの、ずっと鼻づまりが続いており、不快感がある。鼻が詰まっていることでにおいも普段よりしづらく、これがいわゆるコロナの症状なのか、ただの鼻づまりからくるものなのか判断がつかない。
検温やSPO2数値も安定しており、明日は予定通りに対処となりそう。看護師さんからもその旨連絡があり、明日朝10時に最終連絡が来るそうだ。
振り返ればあっという間で、少し名残惜しさすら感じるが、これがもしあと数日続いていたらそんな悠長な気持ちでもいられないような気がする。無事に予定通り退所できることはとてもありがたい。
 
 
いつものように朝の検温の放送で目がさめた。今日はぜんぜん起きられず、結局検温サイトへの登録が遅れ、催促の電話で起きた。
ご飯の時間もいつも通り。これが最後のお弁当だと思い感慨深かったが、なぜかあまり食べることができず、半分くらいを残してしまった。
私は何事も直前になってやるタイプなので食事もそこそこに荷造りを始める。10時に連絡が来るとのことだったので、それに間に合うようにと思っていたが、9:45に連絡がきてしまい、もう退所していいとのこと。そう言われてもまだ何も終わってないので、ぼちぼち荷造りをして、10時すぎに準備ができた。
いざ出るとなると、なぜだかそれなりにさみしく感じ、5日間程度の短期間でも愛着を覚えるものなのだなと感慨深い気持ちになったりした。正直体力がかなり落ちているような感覚があり、大荷物を持って歩くことが不安だったが、とにかく外に出られるのは嬉しい。
退所に関してもあっけなく、最後に出口で係の人に封筒を渡されただけで、さらっと外に出た。空気はとても冷たく、私がホテルにかくまわれている間にすっかり冬になったような気温だった。空は高く晴れていて、とても気持ちが良かった。駅まではそこそこ歩いたけれど、久しぶりに街に出たことが新鮮で、これがもし実刑判決を受けて刑務所から出た人だったらどんな気持ちなんだろうか、などと考えたりした。電車の中で思わず、親しい友人に「シャバの空気はうまいぜ」とラインをしてしまった。言いたかっただけなのだが。
病院から家までは一時間程度だったが、なぜだかすごく遠く感じた。毎日歩いている道も少し通らないだけでなぜだか新鮮に感じる。
家に着くと思わず「ただいま」と言ってしまった。誰もいないのだが、なぜか何度も「ただいま」「ただいま」と連呼してしまった。嬉しいような、せつないような気持ちで、なんだかにやけてしまう。久しぶりの我が家は出た時と同じように散らかっていたが、不思議と引越しをして新しく部屋を借りた時のような気持ちになった。
 
正直この体験は、褒められた話ではない。けれど、個人的にも色々あった2020年の最後に、追い討ちをかけるように大きな出来事が起きたことはやっぱり印象的で、2020年が私にとっていつもと違っていた年であることを裏付けているような感じがする。まだ自分の中でこの経験をどう活かすとか整理がついていないし、正直特段活かされないような気もするけど、この数日間はいろいろなことを考えたし、映画も見たし本も読んだし、濃い数日間だったことに変わりはない。何年か後にこれをどのように思い出すんだろうか。コロナウイルス とは引き続き共存をしていくことになりそうだし、たとえばこのあと後遺症に苦しむこともあるかもしれない。そういうものを私は背負っているんだ、というと大げさかもしれないが、そういう気持ちはどこかにうっすらとある。ひとまず今は体調が元に戻ったことに感謝して、またいつも通りに生活を続けたいと思う。