隔離

早朝に気分が悪くなり目覚める。この寒気は絶対に熱が出ているやつだ、と確信し、体温を測定する。37.8。高熱とまではいかないが、しっかり発熱している。前日の夜に少し寒気がした気がしたのだが、12月に入ってぐっと冷え込んだこともあり、いよいよ冬本番だなあなどと悠長なことを考えていた自分がバカみたいである。
もちろんすぐに流行中のウイルスを疑ったが、いろんなサイトを見てみても、4日間以上発熱が続くようであれば保健所に相談、となっているものが多く、ひとまず様子をみることにした。
 
 
37.4くらいに落ち着いたものの、まだ熱はある状態。この時点で味覚嗅覚に異常はなく、咳もそんなに出ない。明確な症状は熱と鼻水のみなので、普通の風邪なんじゃないか、と素人のくせにかなり楽観的な判断をする。が、やっぱり今振り返ってもこの時点でそう思ってしまったのも無理はない気がする。それくらい気が緩んでいると言われればそれまでではあるが。この日、眼球の痛みも発生したため、過去に何度かなっている副鼻腔炎なのではないかと思い、もし明日熱が下がらなければ病院へ行こうと決意。
この日、昨日ずっと寝ていたことが仇となりぎっくり腰にもなってしまい、どちらかというと風邪の症状よりぎっくり腰の方が辛かった。ぎっくり腰になってしまったら、なるべく動かすことが大事なので、無意味に1時間くらい散歩をした。それくらいの元気はあった。
 
 
朝イチで体温を測るも、引き続き37度台。なんにせよ自然治癒ではなく何かしらの薬に頼りたい気持ちにもなり、病院へ行くことに。かかりつけの最寄りの病院はかなり混雑するので、結局診察は正午ごろになってしまった。
診察を待つ間は、発熱症状があったため、別室にて待機。症状をひと通り伝えたあと、インフルエンザの検査をするも陰性。お医者さんに、この時期ですからPCR検査も受けられますがどうしますか?念のため受けます?と聞かれる。そういうゆるい感じ、しかも任意なんだ、と思いつつ、私は陰性の証明が欲しかったので、受けますと答え、その日のうちに家から少し離れた場所でPCR検査の予約が取れたことが伝えられた。検査場所へ向かう途中、交通公共機関を使わずタクシーか自家用車で行ってくれと書いていることに気づき、電車を少し手前で降りて歩いた。完全にしっかり読んでいない私が悪いのだけど、普通にスルーする人結構いそう...。
PCR検査場は、写真撮影が禁止という張り紙が貼られていた。正常な運用ができなくなる可能性があるので、場所を特定するような書き込み等も禁止する旨が書いてあった。それが妙に生々しく感じられた。
予約は分刻みで取られ、検査自体はすぐ終了した。ここにいる人は皆何かしら罹患の可能性があってきているんだと思うと、謎の同志感が生まれた。
帰りはタクシーにしようかと思ったが、昨日に引き続きぎっくり腰がまだ完治していなかったため、少々時間はかかったが徒歩で帰ることにした。
結果については、陰性であれば病院経由で、陽性の場合は保健所経由で、明日の昼頃に伝えられるとのこと。
 
 
午前中、10時ごろに電話が鳴る。病院からだ。ということは陰性なんだろう、よしよしと思い電話に出た。すると「陽性でした」との返事。思わず「え...」とぎょっとした声を出してしまう。聞き間違えたかなと思ったり、陽性って感染してる方のことだよねと一瞬思ったりしたが、電話口の看護師さんは「おって保健所から連絡が来ますので、外に出ずにお家の中でお過ごしください」と言われる。
正直めちゃくちゃ気を遣って生活していたかというとそうではなく、例えば春の緊急事態宣言の時ほどの危機感はなかったし、友人との飲食も、ある程度対策のとられた店であればよしとしていたので、可能性はなきにしもあらずとは思っていたものの、いざ陽性の事実が伝えられるとそれなりにショックを受けた。そしてこのあとどういう手順を踏めば良いか結構悩んでしまった。気になるのは直近で会っていたり食事をした同僚や友人のことだが、どのように説明をするのが正解なのだろう。保健所から連絡が来るとのことだったので、ひとまず会社に陽性の診断を受けた旨を伝え、あとは保健所の指示を待つことにした。
午後になり保健所から連絡がきた。発症の二日前までに接触があった人と、その人とどういう環境で接触したかを細かく聞かれ、濃厚接触者に該当するかどうかの判断がなされた。会社で接触した人に関しては、オフィスの環境等も重要になってくるので、後日会社の所在地の保健所から会社あてに連絡がいくとのことだった。
おそらく小一時間保健所の人と話をしていたと思う。こちらは素直にわからないことをたくさん質問したが、すべて優しく答えてくれて安心した。マニュアルもかなりできあがっているように感じられ、さすがにこれだけ時間がたっていれば整っているか、と納得したりもした。
数時間後にまた保健所から電話があり、私は入院ではなくホテル療養となることが決まった。あさってに詳細の連絡がくるらしい。ホテル療養に際して必要なものなどの説明があった。洗濯ができないので着替えを多めに持ってくることや、部屋で手洗いは可能なので洗剤を持参してもいいということ。ネットショッピングやデリバリー、タバコとアルコールは禁止。部屋のポットでお湯を沸かすことはできるので、お茶やお味噌汁があるとよいかもということが駆け足で伝えられた。色々と準備したい気持ちはあれど、そもそも自宅から出てはいけないので、たまたまストックしていたインスタントの味噌汁やスープ類を持って行くことにした。あとはどう時間をつぶすか、積ん読していた本のうちいくつかをピックアップしたい。
 
 
陽性の診断を受けたのちに何が大変かというと、周囲への連絡だということに気付かされた。濃厚接触の疑いがある、直近で会った人に関してはもちろん連絡をとり、保健所からも連絡をしてもらう必要があったので、その指示に従った。迷ったのは、濃厚接触者扱いになる直前に会った人や、症状が出る2週間前までの間に会っていた人たちである。言う義務はないし、わざわざ言う必要もないとも考えられるけど、それは気が引けたのと、普通に連絡をしたり明日以降も会う予定がある人たちに黙っているのも不自然である。結果、自分の判断で2週間以内に会って飲食を共にした人に関しては連絡をすることにした。私は厳しく外出自粛していたわけではなく、それなりに人にも会っていたので、これが精神的にも工数的な面でもけっこうこたえた。結果的に私の感染が発覚したことにより、親しくしている人たちを不安な気持ちにさせていると思うと、これまでの行動が必ずしも間違っていたわけではないと心ではわかりつつも、かなり申し訳ない気持ちになるし、責められても仕方ないと思ってしまう。自分の行動を振り返り、悔いたりもした。ただ、連絡した人たちはみなやさしく暖かい言葉をかけてくれたのが救いだった。
私は軽症で熱もあまりなかったので、メッセージを一人ひとり返したり対応することができたけど、これがもし高熱でうなされていたら、と思うと、こんなことはできないなと思う。(それは会社への連絡なども同じ)
 
 
前日にようやくホテルの詳細が知らされた。自宅にお迎えのタクシーが近づいたら連絡があるそうで、それを待っていた。当初「近づいたら」とのことだったので、電話があったら最後に詰めるものを詰めて出よう、と思っていたのだが、電話がかかってきたときには「自宅の前です」とのことで、慌てて出て行った。
乗り合わせたのは、20代くらいの女性と、40代くらいの女性だった。皆同じ気持ちでこの車に乗っているのだと思うと不思議な気持ちがした。
マスクをしていたせいか、それともしばらく外に出ずじっとしていたせいか、ひどく車に酔ってしまい、ホテル到着まで変な汗を全身にかいてしまった。私は三半規管がもともと弱く、乗り物に乗らない日々が続くとすぐこうなってしまう。
ホテルに入ると、ホワイトボードに詳細が書いてあり、名前の書いてある封筒を取り、部屋へ向かうように指示があった。係の人から直接の説明はなく、なぜか近未来感を感じながら部屋でその封筒をあけた。中にはこれからの説明が記された資料と、都知事からのメッセージ、VODの案内に加え、指先で血中の酸素濃度を測定する機器が同梱されていた。今日から定められた時間に体温とこの酸素濃度を測定し、記録していく必要がある。
食事は1日3回決められた時間にロビーに取りに行く。部屋から出ることができるのはその食事の1時間だけで、それ以外は基本的に室内で過ごさねばならない。そんなことできるのだろうか...いくつか暇つぶしグッズは持ってきているが、少々心配である。
 
 
 金
今日から仕事を復帰することにした。まる一日ホテルで過ごしたのは今日が初めてになるが、仕事でmtgなどがあると意外にすぐ時間は過ぎてしまい、通常の在宅勤務とあまり感覚は変わらない。食事の時間がきっかり決まっているため、かえって時間配分が規則的になり健康になりそうな気さえする。
会社の人は相変わらず皆優しく接してくれ本当にありがたい。一週間ぶりに顔を合わせる人ばかりなので懐かしさも少し込み上げる。興味津々な人からは色々質問も受けたりして、同じような答えを何度もしたりした。それは全然苦にならないのだが、どういう態度でいるのがベストなのかちょっと戸惑ってしまった。心配をしてくれているので、元気なことを伝えたい気持ちもあるし、ジョークだって言いたい気持ちにもなるけど、ふざけるような話でもない気がして、ちょっとぎこちない感じになってしまう。結局シンプルに元気であることを伝えたり、心配かけてごめんねという気持ちをストレートに伝えることが大事なのかもなと思いそうした。
明日からは週末。時間はたっぷりあるので、本や映画など有意義に過ごしたい。
 
 
週末が始まった。といっても部屋から出られないのでやることはないのだが。持ち込んだタブレットで映画をいくつか観た。友人が話していた監督の映画をみてみようと思い観た。思ったよりシリアスかつヘビーだったものの、自分の好きなテイストだった。部屋でひとりでみるので思う存分余韻に浸ることができた。
本やストレッチグッズなども持ち込んだけれど、だらだらネットサーフィンをしていたり、誰かとLINEをしているとそれなりに時間はすぎていくもので、正直あまり窮屈さや退屈さは感じずに1日がすぎた。むしろ夜更かしまでしてしまっている。
 
 
昨夜に夜更かしをしたせいか、午前中ほぼ何もせずずっと寝てしまった。
ここに来て以来食事の時間と検温の時間がきちんと決められているので、そこは規則正しく生活できるものの、その他のところで歪みが出ると一気にリズムが崩れてしまう。けれど時間が決められていることで元に戻すのも容易に感じる。一人暮らしだとずれ続けてしまうので。
今日は同僚からおすすめされたNetflixの番組を見たり、読みたくて読めていなかった本を読んだり、お気に入りのドラマ作品「すいか」をひさしぶりに見たりして楽しんだ。1日は本当にあっという間だなと思う。
 
 
今日は再び仕事をした。といっても普段よりできることは限られてしまうので、あまり仕事をしたという感覚はなく、いくつかのmtgに出席したり、進捗を聞いたりするだけではあった。午前中に極めて眠くなる、というループにハマっていて、特に普段食べない朝食を食べた後、血糖値がおそらく上昇するせいか、二度寝をしてしまう。今日も例外ではなく、始業直前まで眠ってしまっていた。体調は随分前に解熱はしているものの、ずっと鼻づまりが続いており、不快感がある。鼻が詰まっていることでにおいも普段よりしづらく、これがいわゆるコロナの症状なのか、ただの鼻づまりからくるものなのか判断がつかない。
検温やSPO2数値も安定しており、明日は予定通りに対処となりそう。看護師さんからもその旨連絡があり、明日朝10時に最終連絡が来るそうだ。
振り返ればあっという間で、少し名残惜しさすら感じるが、これがもしあと数日続いていたらそんな悠長な気持ちでもいられないような気がする。無事に予定通り退所できることはとてもありがたい。
 
 
いつものように朝の検温の放送で目がさめた。今日はぜんぜん起きられず、結局検温サイトへの登録が遅れ、催促の電話で起きた。
ご飯の時間もいつも通り。これが最後のお弁当だと思い感慨深かったが、なぜかあまり食べることができず、半分くらいを残してしまった。
私は何事も直前になってやるタイプなので食事もそこそこに荷造りを始める。10時に連絡が来るとのことだったので、それに間に合うようにと思っていたが、9:45に連絡がきてしまい、もう退所していいとのこと。そう言われてもまだ何も終わってないので、ぼちぼち荷造りをして、10時すぎに準備ができた。
いざ出るとなると、なぜだかそれなりにさみしく感じ、5日間程度の短期間でも愛着を覚えるものなのだなと感慨深い気持ちになったりした。正直体力がかなり落ちているような感覚があり、大荷物を持って歩くことが不安だったが、とにかく外に出られるのは嬉しい。
退所に関してもあっけなく、最後に出口で係の人に封筒を渡されただけで、さらっと外に出た。空気はとても冷たく、私がホテルにかくまわれている間にすっかり冬になったような気温だった。空は高く晴れていて、とても気持ちが良かった。駅まではそこそこ歩いたけれど、久しぶりに街に出たことが新鮮で、これがもし実刑判決を受けて刑務所から出た人だったらどんな気持ちなんだろうか、などと考えたりした。電車の中で思わず、親しい友人に「シャバの空気はうまいぜ」とラインをしてしまった。言いたかっただけなのだが。
病院から家までは一時間程度だったが、なぜだかすごく遠く感じた。毎日歩いている道も少し通らないだけでなぜだか新鮮に感じる。
家に着くと思わず「ただいま」と言ってしまった。誰もいないのだが、なぜか何度も「ただいま」「ただいま」と連呼してしまった。嬉しいような、せつないような気持ちで、なんだかにやけてしまう。久しぶりの我が家は出た時と同じように散らかっていたが、不思議と引越しをして新しく部屋を借りた時のような気持ちになった。
 
正直この体験は、褒められた話ではない。けれど、個人的にも色々あった2020年の最後に、追い討ちをかけるように大きな出来事が起きたことはやっぱり印象的で、2020年が私にとっていつもと違っていた年であることを裏付けているような感じがする。まだ自分の中でこの経験をどう活かすとか整理がついていないし、正直特段活かされないような気もするけど、この数日間はいろいろなことを考えたし、映画も見たし本も読んだし、濃い数日間だったことに変わりはない。何年か後にこれをどのように思い出すんだろうか。コロナウイルス とは引き続き共存をしていくことになりそうだし、たとえばこのあと後遺症に苦しむこともあるかもしれない。そういうものを私は背負っているんだ、というと大げさかもしれないが、そういう気持ちはどこかにうっすらとある。ひとまず今は体調が元に戻ったことに感謝して、またいつも通りに生活を続けたいと思う。