33

9月に入ってから怒涛の忙しさで、昨日の撮影をもってひとつ大きな山を超えた気分。

昨日は早朝から夕方までほぼノンストップで指示を出したり判断したりアイデアを出したりで、帰宅してから今朝まで12時間くらい寝た。この山はこの先にもあと2回くらいひかえており、11月ごろまで続きそう。

 

そんな日々だったのでいつのまにか33になってしまった。けっこう焦ってしまう。32って特になんの区切りでもないとおもうのだけど、なんとなく、28〜32ってどこを切っても同じというか、そういう印象が自分の中にあって、33から新しいフェーズに入る、みたいな勝手なイメージがあったので、どこを切っても同じ期間が終わってしまうことへの寂寥の念みたいなものを感じてしまった。

 

誕生日、いろんな方にお声かけしていただきありがたかった。大々的に祝福されることはけっこう緊張してしまうのだけれど、そもそも大なり小なり自分のことを気にかけてくださって祝ってくださるということはありがたいし嬉しいものである。

恋人がいる状態で誕生日を迎えるのももう何年ぶりかだったので、とても嬉しい誕生日となった。これからどんどん時間がすぎて年老いていくことを止められなくなっていくのだろうなという実感があるのだけど、私はたぶん死ぬまで牛歩でのんびりしているのだろうから、無意味に焦らずくらしていけば大丈夫よ、と自分で自分に言い聞かせている。

 

今日はこれから久しぶりの野外ライブにいく。たいへんに楽しみである。

蓄積

睡眠を改善するには痩せるしかないっぽいので、ダイエットだー!と思っていたのだけど全然うまくいかない。つい食べてしまうし、そもそも決意した次の日には決意した感情をすっかり忘れていて、その分自分を抑制できない。欲にまみれていて無様だ、私。

 

中学からの親友が離婚危機でかなり深刻に悩んでおり、ここ数日よく電話で話を聞いている。彼女は自責感情が強く、それは相手が悪いのではということも、自分のせいにしてしまっており、聞いていてかわいそうになってくる。2人はどうやら半年ほどすれ違っているっぽくて、そこにたまった感情とかこれからどう処理していくんだろう。どうか平穏な日々が訪れるようにと祈っている。

 

安倍総理が辞意を表明した。持病が悪化とのことなので、心身第一にと思う。ただ、私はお疲れ様とは言えても、ありがとうとは言えない。ここまで長い間総理大臣が変わらなかったことがなかったので、なんとなく時代が変わるような印象は、今までより強く感じた気がする。SNSでみんなが辞めていく総理に対して「おつかれさま」だとか「ありがとう」だとか投げかけているのを目の当たりにするのも初めてな気がしたし、総理に対する猛烈な支持者と、猛烈な不支持者がここまであらわになるのも僕はあまり目にしたことがなかった。すべてSNSが可視化したものな気がして、この8年はSNSの影響力が強まり広まった8年でもあるのかしらと思ったりした。この件に関してはいろんなことを思ったけれど、結局私は政治のことをあまり勉強していないので、すべてふわったした話になってしまう。(けどなんか今はこのままでいさせてほしいという気持ちだ)

 

昨夜遅くには久しぶりに急遽恋人がやってきてくれた。というか来てもらった、というのが正しいのかも。会いたかったので会いたいと言えたのはよかったし、実際に会えたこともよかった。ただいまいち感情をうまく伝えることができなくて、小さめな背中を見つめながらなかなか寝付けなかった。宇多田ヒカルのWINGSがこういうときに本当にしっくりきてしまって、自分の境遇とか感情とかがやたらドラマティックに脚色されてしまう。こういう私のナルシシズムな癖、振り返ると気持ち悪いのでやめたい。けどその場はすごい美化されて気持ちよくもあるからやめられない。

 

仕事に関してはつまづいている、というか、もやもやがずっと晴れない。何もできないまままたひとつ年を重ねんとしていることへの焦りばかりがから回る感じ...。落ち着いて考えたいけどどうしても焦りと不安と自信のなさが3点セットで襲いかかってくる。

 

生命保険の勧誘の電話がかかってきて、散歩中暇だったのでなんとなく聞いていたら、別に悪い話じゃない気がしてきたのと、すぐ解約できるということが確認できたのでその場で申し込んでしまった。ひとまずこれを機に色々と調べて、より自分にフィットしたものを探してみようと思っている。別に扶養家族がいるわけでないので、ライトなものでいい気がしている。みんなもう入ってるのだろうな。みんないつのまに勉強しているの。

 

税金とかマンション購入とか株式投資とか、そういうのみんないつのまにやろうと思っていつのまにやってるんだろう。私いまはさっぱりだけど、小さい頃は勉強がまあそれなりにできたのだけど、それはみんなが遊んでいる間に塾に通ったり勉強してたからで、そういうの、まわりからみたら「いつのまに」なんだろうな。

わたしが不安だとか自信がないとか言っている間に、それらの感情を押しのけて頑張ってる人はいるのだろう。基本的に私は予習をすることで貯金を作って、その貯金を崩しながら生きるタイプなのだけど、大学あたりからもう貯金がずっとないまま自転車操業をしている気持ちである。今から貯められるものって何があるのかな、あんまおもいつかない。

 

眠れないので書いてみたけどよけい眠れなさそう。

フジロック

仕事が絶不調のまま週末に突入しようとしていた金曜日。夜20時からフジロックの配信があり、そこでもう仕事モードは途切れてしまった。

 

2012年に初参加したフジロック、何年か仕事の都合で行けなかった年や、日帰りした年もあるけれど、それ以外6回くらい?は参加している。

近年は、小さなステージの脇のバーでバイトをしているので、完全に自由に回れているわけではないのだが、それでも「フジロックに参加している」という気持ちは、単にお客さんとして来場するよりも強く感じているような気がする。

私はフジロックが大好きで、毎年夏に苗場に行くこと、そこで仲間とすごすことを本当に大切に感じている。盆と正月が一年の節目になっているのだとしたら、私の暦には「フジロック」と「朝霧jam」がその代わりをしているとすら言っていい気がする。

 

そんなフジロックが今年は開催されない。となると、本当に調子が狂ってしまう。なにかぽっかり穴が空いているような、時間がすぎているのか止まっているのかわからないような感覚で、2020年は後々振り返っても奇妙な年になるのだろう。

配信を見ていたら、冒頭で大将の(正しくはスマッシュ代表?肩書きとかあるのかな)の日高さんのメッセージが流れ、その魂のこもった言葉に不覚にも涙が出そうになった。日高さんがいうには、ここ数年フジロックが岐路に立たされている予兆を感じていたそうだ。特に去年の2日目は豪雨により会場を流れる川がほぼ氾濫し、橋が流されるなどの大損害で、本当に中止にしようとしていたらしい(私も宿泊していたテント脇の道路が川と化していて結構怖い思いをした)。そして10月の朝霧jamは台風で中止となった。20年も続いていたら、人生と同じで、うまくたちゆかなくなることもそりゃあるだろう、と日高さんは言っていたのが印象に残った。(ただ、こういう病気がくるとは思わなかった、とも言っていた)

自分の口でこういう風に熱量のある言葉をどうやったら発することができるのだろう。気持ちと言葉が一体になって、しっかりまっすぐに伝わってくる感じ。言葉からすでに音楽だしロックなんだよな。かっこいいな。

 

配信そのものは、もしかしたらそんなに楽しめないかも、と思いながら見たけれど、毎年参加している友人とLINEをしながら見たら、最高に楽しかった。このときみんなで見たよね、とか、この年俺行けなかったんだわ、とか。当時の写真を共有して、みんな若い!なんて笑ったりして。今年は中止になってしまったけれど、こうやって今までの振り返りとして、思い出話に花が咲く機会も、中止になってこそだと思うから、これはこれで楽しみたいと思った。

 

今日はまさにその友人たちとBBQをしていたので明日の朝のリピート配信を楽しみに寝る。久しぶりに幸せな気持ちで夜を迎えられているような気がする。

 

 

 

 

 

 

めちゃめちゃになってる

生活のリズムがめちゃめちゃになっている。以前より睡眠の質が落ちていて、先日(7末)睡眠外来に行き、入院検査をしてきた。結果、重度の睡眠時無呼吸症とのことで、めでたく?CPAP導入が決まった。どうやら1時間に平均42回呼吸が止まっている(10秒以上止まっていたもののみカウント。私の場合30秒くらい止まっていることが頻発していたらしい)らしかった。

私はとにかく朝起きた時の体調の悪さがひどすぎて、CPAPをして治るならぜひと思っていたのでありがたかった。し、4月から3ヵ月連続で、睡眠時に苦しくなって目覚め、そのまま息が吸えなくて呼吸困難に陥る、という現象に悩まされており、6月にいよいよ嘔吐を伴ってしまったため、さすがにちょっと怖くなってしまい病院に行った次第である。導入は9月からなのだが、使用している人に話を聞くと「人生変わる(いい意味)」という人が多いので、けっこう楽しみにしている。

 これによって今まで感じていた不調がすべて楽になり、家に帰って疲れ果てて床で寝てしまうようなことがなくなり、なんなら痩せちゃったりして!みたいにちょっと過度な期待をしている気がするので落ち着きを取り戻したい。

 

睡眠への不安感からか、これまで「眠れない」なんてことはまずなかった私が、最近適切な時間に眠ることができず困っている。毎晩2時くらいにベッドに入るも眠れず、結局4時くらいに寝て、8時半くらいに苦しくなって起きている。

ゆえに仕事にも支障がやや出てきてしまい、毎日の疲れが取れず、メンタルもだんだん落ち込んで行き、今日にいたっては昼間仕事がほぼなにも進まなかった。

 

ずっと抱えている不安は大きく分けて2つで、仕事と将来に対することと、愛にまつわるあれこれ(とりわけ恋人や家族について)で、まあ誰もが悩むトピックに対して、私もご多分に漏れずまんまと悩まされているわけである。悩んではいるけど行動が伴わないことが悩みに拍車をかけているが、結局どう動けば間違わないかにとらわれてしまって動けない。間違いたくないばかりにどんどん間違い続けてしまう人生を歩むの恐ろしい。でも怖くて動けない。そんな具合である。

何か大きなきっかけで私は動くんだろうとも思うけど、そういうのを待っていては遅いとも思ってしまう。

 

睡眠の質をあげるには結局やせるしかないようで、今日は食べ物を控えめにした。けれど、私はストレスがたまると食に走る(しかも体に悪いものを大量に摂取することで快感を覚える)タイプで、それができないこともなかなかつらみである。 

今日はあまりに仕事が進まず、罪悪感からか(?)夕方くらいから部屋の掃除をし始め(仕事や整理が苦手な人がよくやるやつ)、それも中途半端にしたまま夜は恋人と小一時間オンラインゲームをした。

先日は恋人の誕生日というイベントがあり、贈り物やデートプランであれやこれやと悩んだけれど、そういうことを今までしたことがなかった(男性との交際期間に恋人の誕生日を迎えるのが初めて)ので、振り返ってみるととても楽しかったし、1年の中で、その人を思って行動をするということが合法的かつ大々的理由になるという意味で「誕生日」って面白い日だなと思った。

私は正直祝われることが苦手で(特に大勢の場でぽつりとスポットライトが当たる感じが本当に逃げ出したくなるので無理)、サプライズも絶対してほしくないタイプなのだが、意外と他人にはしたくなるというか、やっぱり喜んでもらうには察知されないほうがいいな〜とかベタなことを考えてしまい、自分のそういう俗っぽいところを恥じたりした。

結果的に、本当に喜んでくれたかは知り得ないけれど、私は満足できたし、誕生日って実は祝う方のためにあるのかもしれないなどと考えたりした。冠婚葬祭と同じね。

 

あいかわらず時系列も話題もめちゃめちゃでひどい文章。でももう推敲する気力もないのでこのままアップ。

 

できること

ここ数日体調があまりよくなく、と言っても私がここ数年体調が万全だったことがあっただろうかというとないので、もはや自分にとってなにが健康でなにが通常かが測れなくなっているのだけれど、とにかくあまり調子がよくないと感じている日々で、特に今日は朝から軽いめまいや吐き気が伴い、仕事を休んでしまった。

 

昨夜は変な時間に寝てしまい、朝早く起きたため、珍しく朝から運動をしてみたところ、寝不足なのに加えて脱水?(朝からけっこう暑かった)みたいな感じで気持ち悪くなってしまったのではないかという自己分析。やり慣れないことはするものじゃないけど、せっかく頑張ろうと思ってやったことでこういうことになると悲しい気持ちになる。

 

日記というていで始めたブログだけれど、結局書くときは整理したいとき、つまり何か行き詰まってるときなので必然的にそういう内容ばっかりになってしまう。案の定仕事もなんとなく停滞してしまっていてあんまり心身ともにいい状態ではない。

仕事に関しては、結局私って別に要らないんだよな、と思っちゃう期になっていて、毎度ごまかしながらやりすごしている。が、いつまでやりすごすんだろう...という不安の方が強く出る時期というのがあって今はそれである。

 

今日は歩きながら、私がしていることはその人にとっての正解ではないかもしれないが、客観的に見て大きな間違いでは決してない、ということを言い聞かせてみたけれど、その人にとってのベストを提供したいよなあと結局思ってしまって、自罰に回帰してしまうのであった。

自分が担当している仕事に関しても、今のところはぜんぜんうまくいっているのに、なぜか失敗しそう、という理由だけで、取り組むのが怖くなってしまい逃げ腰である。いつもこうなんだけど、なぜなんだろう。成功体験(自分で納得できるやつ)がないからなのかしら。

こういう心持ちがおのずと他人にも通じてしまうとチーム内の意識に影響するので避けた方がいいのはわかっているつもりである。私がしっかりしなきゃいけない、と思うの、結構しんどいけど、私はときどき兄としてそうやって鼓舞してきたこともあったからそのスイッチを入れればいいのだろう。

 

週末は恋人とすごしつつ、もうすぐ訪れる誕生日プレゼントをあーでもないこーでもないと悩んだりしていた。贈り物に関しては毎回本当に悩みまくってしまうが、そういえば恋人の誕生日をきちんとお祝いするのめちゃ久しぶりだと気付いた。大切な人であるほど、ちゃんと喜んでもらいたいという気持ちが増すし、いいものをあげたいという気持ちも増す。ほしいであろうものと贈りたいものが食い違うということも考えられるのだけれど、そもそも何かを贈ることなんて、ほぼほぼ贈る側のエゴなのだから、あまり深く考えず、あげたい!と思うものをあげればおのずと気持ちは伝わるはず、と信じて選ぶことにした。明日はその品を買いに行く。

 

仕事にしろ贈り物にしろ、他人に対してできることには限界がある。私はあなたではないから、あなたをすべて理解はできないけど、あなたを慮って行動することはできるから、もうそれを頑張るしかないよね。

あなたを思ってしたことが裏目に出る、ってことももうある程度は仕方ないのだと思う。あってることと違ってることを繰り返して、あらゆる関係性は成熟してゆくのかもしれない。

instead of 五輪

7/26に書きかけた日記を時間差アップ。

 

本来ならばこの4連休はオリンピックで大盛り上がりしているはずだったということが信じられない。五輪にかこつけて、10月の体育の日が確か移動してきたため4連休になったと認識しているのだがあってたっけ。

私としては10月の体育の日は毎年朝霧jamに行っているので、正直勝手なことをしてくれるなよと思ったりしたのだが、純粋に4連休はありがたかった。し、今年の朝霧jamはどうなるのだろう。やってほしいなあ。狭いステージないし、3つの密が重なることはあまりないと思うのだがどうなのかしら。

 

4連休はかなり満喫したけれどあっという間にすぎてしまった。最初の二日は恋人と過ごし、残りの二日は自分の時間に充てた。

ナウシカを初めて見たけどとても感動した。私はジブリをほとんど見ないまま大人になってしまったため、トトロや耳をすませば魔女の宅急便などはすべて大人になってから見た。二十歳ちょいの割と厭世観強めの時に見たので、正直まったく面白いと思えず、なんならキキに対してめちゃ嫌悪感すら抱いていて、メイもサツキもうざったく、これが国民的映画としてもてはやされていることにイライラするほど苦手(言い過ぎか...)だった。

 

やっぱり多少言い過ぎな気がしてきたけれど、とにかくジブリにあまりいい印象がなかったのだけれど、ナウシカちゃんはなぜかとても好きになれて、ストーリー含めてとても楽しめた。

ナウシカちゃんが終始厄介とされているものたち(虫たち)に対して対話の道を選ぼうとすることと、だからと言って人間を全否定するわけでなく大切にし、共存の道を歩もうとするところがとてもよかった。

前の週にはもののけ姫も観ていて、こちらも同じようにアシタカが人間と自然の共存を訴えるのだが、ナウシカを観た後に思い返すと、アシタカの方がなんだか胡散臭く思え、よりナウシカの健気さみたいなものが際立って感じられた。

結局アシタカは森vsタタラ場のどちらの出でもなくよそ者であって、やっぱりどこかで「ふらっとやってきたヒーローずらした人」という印象(またひどい言い方してしまう...)が拭えなかったけど、ナウシカは自分の土地に根ざしている(っていうか王女だし)という点で説得力があるし、リーダーとして支持を得ているというところも好感が持てた。

 

と思った時点で、わたし結構ルーツを気にしている人なんだと気づいた。あの人は〜の出だから。みたいな。別に実力があれば関係ないのに。

と思ったが、沈みゆくこの国の未来をじゃあ、日本人にしか任せたくないかというとそういう気持ちはまるでなく、もはや日本人には無理だから台湾のデジタル担当大臣のオードリータンみたいな人にこそもう全部お任せしたい...という気持ちにすらなるので、ただ単にアシタカがなんとなく気に食わねえっていうだけの話な気がした。(やっぱりカヤがくれた宝飾品をさらっとサンに渡しちゃう恨みが大きそう。けどアシタカはやっぱカッコいい)

 

さらりと「恋人と」なんて書いているけれど、前回アップした記事が「恋人と別れそう」回だった。その後のお話を書こうと思ったけれど、なんだかとにかく恥ずかしくてちょっと避けてしまっていた。結果的にただの痴話喧嘩みたいになってしまっているのが恥ずかしいやら心配してくれた方に申し訳ないやらで、なかなか向き合えなかった。(お友達が心配してくれて、とても救われました)。

一応しっかり悩んで落ち込んで、その後まじめに話し合いをした結果つなぎとめることができたわけですけれど、向こうのピークがすぎていて、私のピークは上がり続けている、という現状は変わることがなく、私としては追う恋愛というかたちになっている。それは私の成長にとっては必要だなと思うから別にいいのだけど、たまに手放しで安心したいような気持ちになったりもする。けどまあいまはこれでよいと思えている。

 

連休の後半は、前述したように私を心配してくれた友人たちとすごした。恋愛経験が乏しい私の話をたくさん聞いてくれることがとてもありがたい。居心地がよいものだから、つい私が話すぎてしまう。あまり多方面に配慮しないような発言も、くみとって丸くおさめてくださる人たちなので気が緩み切ってしまう。

コロナがあけたら彼らとキャンプにいって夜通し火を囲んで話したり歌ったりしたいと思った。

 

 

 

 

 

 

止まっている感じ

7月に入った実感がまるでない。コロナの自粛期間はまるっとなかったことになっているような気持ちで、しかもそれはまだ続いていて、今年は2月で止まっているみたいな感覚がある。

先週から今週にかけて、仕事がとても忙しいだけでなく、かなり精神的にすり減る作業をこなさねばならなかったので、けっこうピリピリしていたんだと、峠を越えた今振り返って思う。

 

私は今恋人から別れ話を切り出されていて、どうしようかと考えあぐねている。きっかけは些細なことだけど、それは私の鬱憤が蓄積されていた結果でもあって、遅かれ早かれこういう日はきたのだろうと思う。そして考えれば考えるほど、年上である私が大人気なかったという結論にしかならず、後悔と自責で押しつぶされそうになる。

言葉を交わしたかった私と、そういうコミュニケーションが不必要だった彼との関係を、なんとなくやりすごすことはできたのかもしれない。一緒にいる時間は基本的に楽しいので、そういうライトな関係を彼は望んでいたんだろうなと思う。

 

初めから性格はあわない2人だったので、正直付き合い始めもかなり躊躇した。彼の評判は芳しくなく、まわりの友人の中にはあまりいい顔をしない人が多かったし、これをきっかけに疎遠になった(確証はないけれど、そうだと感じる)友人もいた。

私は長いこと恋愛から遠ざかっていたから、そういう風に始まる恋愛にビクビクしていたし、とにかく隙あらば疑おうとしていたと思う。そういう態度をものともせずぐいっとやってきてくれた彼に対しては、純粋に嬉しい気持ちがあったことと、怖くても飛び込んでみることがもしかしたら、この10年弱くすぶっていた自分を変えられるかもしれないという期待もあって、清水とまではいかないけれど、自分的にはそこそこ高い舞台から飛び降りたつもりだった。

 

別れを切り出されてからは、まあ仕方ないなという気持ちと、後悔と、どうしたらまたやり直せるのだろうかということばかりが脳内を巡り、あまり具体的に解決策が思い当たらない。毎日していたLINEがぴたりととまり、彼の好きなアニメをみることや、彼の好きなゲームをすることもなくなって、生活が止まっている感じがする。

昨夜は友人が遅くまで電話に付き合ってくれ、とてもありがたかった。私の複雑さをよく知る彼らなので、不安な心がかなり解消された。私も稀に恋愛の相談を受けたりしていたが、今までぜんぜん彼ら彼女らに寄り添えてなかったなと反省したりもした。

 

今朝見た夢が不思議だったので夢診断をしたら、今の状況を見事に当てていて驚いた。ピアノを弾かなければならないのに、練習をまったくしておらず、本番に真っ青になる夢。ピアノは親密な関係のことを表していて、うまく弾けない夢は行き詰まりを表しているそうな。ピアノに限らず楽器の演奏がうまくいかないのは恋愛や人付き合いに自信をなくしていることを表しているとも書いていた。こんなにドンピシャなことあるだろうか。しばらく夢診断に夢中になりそう。

 

最後のお話は金曜の夜なので、その日までに自分の中で整理をしなければならない。何を話せばいいか難しい。私はもはや修復は不可能と踏んでおり、そうなるともう感謝の気持ちしか出てこなくなる。楽しかったことばかりが浮かんでくる。なのでたぶんそれを伝えればよいのだと思う。