できること

ここ数日体調があまりよくなく、と言っても私がここ数年体調が万全だったことがあっただろうかというとないので、もはや自分にとってなにが健康でなにが通常かが測れなくなっているのだけれど、とにかくあまり調子がよくないと感じている日々で、特に今日は朝から軽いめまいや吐き気が伴い、仕事を休んでしまった。

 

昨夜は変な時間に寝てしまい、朝早く起きたため、珍しく朝から運動をしてみたところ、寝不足なのに加えて脱水?(朝からけっこう暑かった)みたいな感じで気持ち悪くなってしまったのではないかという自己分析。やり慣れないことはするものじゃないけど、せっかく頑張ろうと思ってやったことでこういうことになると悲しい気持ちになる。

 

日記というていで始めたブログだけれど、結局書くときは整理したいとき、つまり何か行き詰まってるときなので必然的にそういう内容ばっかりになってしまう。案の定仕事もなんとなく停滞してしまっていてあんまり心身ともにいい状態ではない。

仕事に関しては、結局私って別に要らないんだよな、と思っちゃう期になっていて、毎度ごまかしながらやりすごしている。が、いつまでやりすごすんだろう...という不安の方が強く出る時期というのがあって今はそれである。

 

今日は歩きながら、私がしていることはその人にとっての正解ではないかもしれないが、客観的に見て大きな間違いでは決してない、ということを言い聞かせてみたけれど、その人にとってのベストを提供したいよなあと結局思ってしまって、自罰に回帰してしまうのであった。

自分が担当している仕事に関しても、今のところはぜんぜんうまくいっているのに、なぜか失敗しそう、という理由だけで、取り組むのが怖くなってしまい逃げ腰である。いつもこうなんだけど、なぜなんだろう。成功体験(自分で納得できるやつ)がないからなのかしら。

こういう心持ちがおのずと他人にも通じてしまうとチーム内の意識に影響するので避けた方がいいのはわかっているつもりである。私がしっかりしなきゃいけない、と思うの、結構しんどいけど、私はときどき兄としてそうやって鼓舞してきたこともあったからそのスイッチを入れればいいのだろう。

 

週末は恋人とすごしつつ、もうすぐ訪れる誕生日プレゼントをあーでもないこーでもないと悩んだりしていた。贈り物に関しては毎回本当に悩みまくってしまうが、そういえば恋人の誕生日をきちんとお祝いするのめちゃ久しぶりだと気付いた。大切な人であるほど、ちゃんと喜んでもらいたいという気持ちが増すし、いいものをあげたいという気持ちも増す。ほしいであろうものと贈りたいものが食い違うということも考えられるのだけれど、そもそも何かを贈ることなんて、ほぼほぼ贈る側のエゴなのだから、あまり深く考えず、あげたい!と思うものをあげればおのずと気持ちは伝わるはず、と信じて選ぶことにした。明日はその品を買いに行く。

 

仕事にしろ贈り物にしろ、他人に対してできることには限界がある。私はあなたではないから、あなたをすべて理解はできないけど、あなたを慮って行動することはできるから、もうそれを頑張るしかないよね。

あなたを思ってしたことが裏目に出る、ってことももうある程度は仕方ないのだと思う。あってることと違ってることを繰り返して、あらゆる関係性は成熟してゆくのかもしれない。