先日行われた文学系のイベントに出展するために、創作を続ける日々だった。私は詩がずっと好きだと言い続けていたくせに、きちんとした形にするのは初めてで、いざ作るとなるとその大変さに打ちひしがれる毎日だった。詩は自由だと思っていたけれど、自分の検閲にかなうものでないと出して後悔するし、その点でいうと、作り終えた今ももう少しあそこをなんとかしておけばよかった、とか色々思うことはあるのだけれど、とりあえず合格点はあげたいなと思う。し、これによってまた新たな創作意欲もわいてきて、自分にとってとてもいい体験だったと感じている。

特に、本番に帳尻をあわせてそこに向かってベストを尽くす、みたいなことを仕事以外で友人とできたことが、文化祭みたいでほんとうに楽しかった。ずっとやりたいと思っていてできなかったことをやるにはエネルギーときっかけが必要で、それを与えてくれた友人のOくん、詩作をしている間にずっとLINEや電話で応援し続けてくれたHくんに感謝をしたい。

このブログ、誰に公開しているわけでもなく、たぶん前述のOくんとHくんくらいしかみてないはずで、まさに自分の整理のためなので、あまり本人特定されたくなく、詩やらイベントやらの具体的な内容になんとなく言及しづらい。

オープンにしているのはTwitterで、同時にゲイ向けの別アカウントもあり、なんだか表裏を使い分けるのがだんだんめんどくさくなってきた。今となってはもはやそんなに境目もないし、あんまり声高に言いたくないこととか言えないことをゲイ向けに言ってるつもりだけどなんかそれも意味あるのかわからん。

 

あまりにイベントに夢中になっていたので、雨宮まみさんが亡くなって4年が経ったことを忘れていた。当時は「こじらせ女子」という単語がフィーチャーされがちだったけど、今ではもうとても古くさく感じる。まみさんだったらこのコロナ禍をどうすごすのだろうか、とか、宇多田ヒカルの新作が出ると、まみさんにも届いているといいなとか、そういうことを思ったりする。

私は一度だけ早稲田の学祭でのトークを聞きに言ったときに直接お話する機会があり、サインをいただいたことがある。当時は自分的にカミングアウトブーム(恥)だったので、ゲイの仲間にもまみさんファンが多いので今度二丁目で講演をしてください!とか言ってしまった気がする(爆恥)。よくそんなこと言えたな...。能町さんの結婚の奴に記されていたまみさんの話は読むたびにこころが苦しくなる。けどなんども読み返してしまう。そして絶対に生きようと思う。

40才になったら私も誕生日パーティーを開こうかな。好きな音楽とお酒と友人を集めて、ちゃんとドレスアップして。それまでにダイエットしなくちゃ!